見た目で判断される怖さ〜庶民を脱する必要性

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みすぼらしい場所で、
「さあ独立しましょう!」
言われても、

「独立したらこんな辛い思いするの?」
的なことを思わせてしまうもの。

古いビルに掲げてあった残念な看板のはなし。

 
やっばり、見た目は大事なんですよね。

人間にも動物としての直感は働いているわけで、
ふとした仕草や行動、発言などで、相手の印象に無意識で訴えかけます。

意図してないのが問題なんですよね。

 
よれよれの安物のスーツを着たおっさんが、
どんだけ成功する、儲かるいっても真実には聞こえない。

若い兄ちゃんが、電話でいまの時代マンションですよとか、
先物取引ですよとかいっても、説得力がない。

魚屋で、うちは新鮮な魚介類しか扱ってないですよ!
というおっちゃんの目が死んでたら、魚が可哀想。

等々見た目で判断されることは多いってわけです。

 
よく国会中継とかで、
「あなたには庶民が感覚がない!」
などと質問の場で出たりしてますが、
パンの価格や卵の価格か分からないのは料理をしない人だって同じ。

毎日すき家あたりで食べてるのは庶民感覚が無い?
一般的には、これぞ超庶民ってやつですわな。

 
そんな庶民が他の国の代表と話をすることが可能かどうか。
見た目で判断されるんだから、相手にされるわけがない。

そこら辺がわかっていて、
「庶民庶民」言うんだから
たちが悪いってわけです。

 
そもそも庶民は庶民でいることを自らが選択したもの。

庶民感覚がどうこうとか言われるのは、
庶民をバカにした発言でしかないことに早く気付くべき。

国会議員とかが「庶民庶民」言ってるのは、
「庶民=貧乏人」と同義ですから。

そんぐらいの侮蔑語だと認識しておきましょう。

 
庶民なんかになりたくてなってない?

んじゃ庶民から脱する方策をさっさと練ればいい。
ただそれだけ。

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